「文武両道 ー親から見た野球と教育ー」宮台忠さん(後編)

この秋のドラフト候補、東京大学のエース宮台康平投手。「東大史上最高の投手」とも言われる左腕はどのような家庭で生まれ、どのような少年時代を過ごし、どのように勉強と野球を両立していたのか?父親として息子の成長を見守ってきた宮台忠さんにお話を伺った、インタビュー取材の後編。

2017.09.19

母校に進んでほしいという夢叶わず 文武両道を目指して湘南高校入学

――中学は戸塚中学校に入学(軟式野球部)。オール5近い成績があったそうですが、勉強面での取り組みはどのように見ていましたか。

宮台 中学から塾に入ったので、勉強面は塾に任せていました。「もしかしたら頭がいいのかな」と思ったのは、塾の模試で上位の成績を取るようになってからです。上位に入ると塾の授業料がタダになるようで、我が家は康平の下に2人の息子がいるので、助かりました。(笑)。

――そんなシステムがあるんですね! 野球のほうはどうでしたか。

宮台 戸塚中でもエースというわけではなく、外野とピッチャーを兼任していました。康平は3年間で3人の先生にお世話になったんですが、本当によく見てくださって、感謝しています。

――「湘南高校」という選択肢はいつ頃に出てきたのでしょうか

宮台 正直、私の母校である横浜翠嵐に行ってほしいという親の願いがありました。じつは、当時の学ランも大事に取ってあって、息子にいつか着てほしいと思っていたんです。

――それは……、泣ける話ですね。

宮台 ただ、3年になってから一緒に学校見学に行ったのですが、私も康平もあんまりいい印象を持たなかったのです。そこから、勉強も野球も一生懸命にできる学校ということで「湘南を見に行きたい」となり、施設を見に行ったら、「ここでやりたい!」となったんです。同じ指導者として川村靖監督の厳しさはわかっていたので、「大丈夫か? 厳しいぞ」と何度も言ったのですが、康平の意志は変わりませんでした。

――湘南に入ってからはピッチャーとして頭角を現し始め、山田浩太郎投手(慶大野球部)との二本柱で3年春にはベスト8にまで勝ち進みましたね。勉強との両立が大変だったと思いますが、家ではどのような取り組みをしていましたか。

宮台 朝に勉強することはほとんどなく、部活が終わって、自宅に帰ってきてから勉強をしていました。家では素振りを一切しないんです。「お前、素振りもやらないのか?」と言うと「学校で十分やってきたから」と答えるんです。うちの庭にはティーバッティングができるネットがあるんですが、康平が高校生になってからは一度も使われませんでした。

――帰りの電車に乗った瞬間に、勉強の頭に切り替えているのかもしれませんね。

宮台 それはあるかもしれません。切り替える力はすごかったですね。あとよく言っていたのは、「野球だけやっている選手には負けたくない」。そういった想いもあって、勉強も頑張っていたのだと思います。

――ピッチャーとしての康平くんの成長はどう見ていましたか。3年夏には初めて背番号「1」を着けました。

宮台 人間的にも素晴らしく、努力家の山田くんがいたことが、康平にとっては大きかったですね。山田くんの姿を見ていたからこそ、康平も頑張れたのだと思います。

敗戦翌日から受験勉強に切り替え 大学で親も驚く肉体の進化

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