「邪道」は「邪道」

2018.02.23
よく「奇策」を使いたがる監督を見かけますが、「奇策を講じる監督」には大きく分けて2種類存在すると考えられます。

【1】奇策も含めて多種多様な練習を積んだチームを造ってきた指導者
【2】その場限りの思い付きで策を講じている指導者

【1】は立派ですね。私も現役時代に「年に1回しか使わないトリックプレー」を繰り返し練習したこともありました。結局使わず仕舞いになったものもありましたが、「まだ奥の手がある」と心に余裕を持ちながらプレーできたので無駄ではなかったと今でも思っています。

一方、【2】は勝利至上主義であれば「あらゆる手を尽くす」という意味で間違いではないのかもしれませんが、私は「監督の采配で勝つ」のは技術的にかなり完成されたプロ野球などの指揮官の話だと思います。

小中学生の場合、采配よりも「どんなチームを作ってきたか?」で勝負の大半は決まると思います。

決戦の日までに「どれだけの技術を磨いてきたか」「どれだけ周到に準備をしてきたか?」で勝負はほとんどついていて、あとは「やり切るかどうか?」で結果が変わると思います。だから私の場合は「今日は俺の采配で勝つ!」ではなく「俺の下手な采配で選手の足を引っ張らないようにしなければ」と気を引き締めるだけです。そんな思いで指導者をやっているので、私は「俺の采配で勝たせる」と思ったことはありません。「どうすれば練習でできたことを試合でも実践できるか?」これが全てだと思います。

練習は「技術を高めること」「勝利の根拠を造るためのもの」だと思います。根拠があるからこそ、自信となり再現性のある実力として身につきます。思い付きのような選手起用や作戦は思わぬ好結果を出す場合もありますが、その場限りの「詭弁」みたいなものだと思います。奇策は全面的にダメだとは思いませんが「奇策を講じる準備」が必要だと思います。もしアクシデントなどで初めてのポジションを守らなくてはならなくなった場合、仮にうまくいかなくても選手を怒るのではなく「急にごめんな」と指導者が謝るべきことだと思います。

私はセーフティバントのサインもセーフティバントの練習をしてきた選手にしか出しませんし、スクイズも真面目にバントの練習に取り組んだ選手にしか出しません。隠し球対策はやりますが、隠し球の練習もしません。

人は「努力が報われる」という経験をしてこそ「努力の大切さ」を学びます。「詭弁」で成功体験を積んだ人は「詭弁」を使い続けます。「監督、秘策はないですか?」と他力本願な考え方になってしまいます。自分が手がけた選手には「地道な努力を怠らず、努力の大切さを伝えられる人」になって欲しいと思います。

「邪道」はどこまでいっても「邪道」でしかないと思うからです。


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著者プロフィール

著者:廣川寿(ひろかわひさし)
愛媛県出身。松山北高校時代に投手として選抜高校野球(春の甲子園)に出場。甲南大学時代は投手として阪神大学野球連盟の数々の記録を塗り替える。社会人野球まで投手として活躍。自身の息子が少年野球チームに入部したことをきっかけに学童野球のコーチとなる。現在は上場企業の管理職として働く傍ら、横浜港北ボーイズのコーチとして「神奈川NO.1投手の育成」を目標に掲げ、中学生の指導に情熱を注ぐ。


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