【プロ野球選手の少年時代】内川聖一2000安打達成!両親が心がけていた「強制させないこと」

福岡ソフトバンクホークスの内川聖一選手がプロ野球史上51人目となる2000本安打を達成した。2000年のドラフトで横浜ベイスターズに1位指名されプロ入りした内川選手は、右打者歴代最高とも称される打撃技術を武器に、史上2人目の両リーグ首位打者に輝いたほか、2008年には右打者史上最高打率の.378をマーク。ベストナインには5回選出され、レギュラーシーズンMVP1回のほかクライマックス・シリーズで3回、日本シリーズで1回のMVPに輝くなど、とにかく勝負強い。ワールド・ベースボール・クラシックには2009年の第2回大会から3大会連続で出場。押しも押されぬスーパースターの地位を築いている。

2018.05.10

遊園地よりも野球ができる広場を好んだ少年時代

内川選手は生まれながらの野球人であり、幼少期からの行動すべてが今日の成功へと繋がっている。それを証言してくれたのは、大分県の情報科学高で野球部副部長を務める父・内川一寛さんだ。

「そりゃもう根っからの野球好きでね、VHSのテープが擦り切れるほど高校野球のビデオを繰り返し見ていたし、デパートに連れて行っても野球用品売り場から動かない。小さい子どもが欲しがるおもちゃを与えても喜ばないから、クリスマスには野球ボール1ダースを枕元に置いてあげたりね(笑)」

遊園地よりも野球ができる広場を好む。ボールとバットを手にしたら、1日中遊んでいても飽きない。それが内川選手の少年時代だ。

現在は情報科学高校野球部で副部長を務める父・一寛さん
むしろ生まれる前から内川選手は野球のある環境にいたと言っていい。当時、大分県内の国東(くにさき)高で監督を務めていた一寛さんのもとへ、出産を間近に控えた内川選手の母・和美さんが毎日のように差し入れを持って足を運んでいる。この時、グラウンドで発せられる選手たちの声や金属バットの打球音などが、いわば“胎教”となり、生まれたのちも遊び場は決まって高校グラウンドのレフト奥にあった芝生だった。グラウンドにこだまする音や声をBGMにした生活が、0歳から4歳まで続いたのである。

4歳ごろには1歳年下の弟を引き連れ、野球ごっこで遊ぶ毎日。野球ごっことは、一寛さんが指導していた国東高野球部の練習メニューをそっくり真似るというもので、最後には校歌を歌いあげ「気をつけ! 礼!」と深々と頭を下げるところまでを再現したという。
両親が心がけていた「強制させないこと」

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