「文武両道 ービジネス界で活躍する元球児ー」上野雄平さん(前編)

早稲田実業―早稲田大でプレーし、現在は大手旅行代理店に勤務する上野雄平さん(24)。レギュラーとして甲子園、神宮を沸かせた選手ではありませんでしたが“裏方”として歩んだ道に「間違いはなかった」と言い切ります。同じ群馬の中学軟式野球部から早実に入学した斎藤佑樹投手(日本ハム)に憧れ、打ちこんだ高校野球。ケガに泣かされた苦悩と、現在の仕事に生きている野球の力について、お話を伺いました。

2018.07.23
中学時代、県3連覇やKボール全国大会出場などの輝かしい経歴を持つ上野さん。人間形成の土台となった中学野球の記憶は鮮明だと話します

――上野さんは群馬の出身で、伊勢崎三中野球部時代は県NO.1投手だったと聞いています。
上野 そう言われてましたが…自分ではなんとも(笑)。県大会で3連覇して、関東大会に3回出場しました。全中(中学軟式の全国大会)には行けませんでしたが、中3秋に「伊勢崎北選抜」という選抜チームに選ばれ、Kボールの全国大会に出場しました。当時の南田勝監督がとても熱心な先生だったこと、いい仲間に巡り合えたお陰です。

伊勢崎三中時代の恩師、南田勝監督(写真右)。「練習は厳しいけれど、愛情のある指導で僕たちに礼儀や挨拶をしっかりと教えて下さいました」

――高校選びはどのように考えていたのですか?
上野 もともと「早慶(六大学)で野球がやりたい」という強い夢がありました。もちろん、高校で甲子園出場して、です。そこで、自分にとってベストは、勉強を頑張って前橋高校入って松本稔先生(当時の前橋高校監督)のもとで野球してから、早慶に進学したいと思っていました。そのために、中学入学時から「前高合格」を目指して、一生懸命勉強していました。ところが、中2のとき松本先生が中高一貫校の中央中等教育学校に異動され、松本先生の元で野球をすることが不可能になってしまったのです。


――中高一貫校には、途中から入れでないですもんね。
上野 その後、群馬県内で甲子園出場を狙うとしたら桐生一かな…。と考えていたんですが、いったん目標を失ってしまったので、ここに行きたい!という学校がなくてですね。そんな時に、中3秋にたまたま参加したKボールの全国大会を、早実の和泉監督が見に来て下さって、僕に興味を持っていただきました。当然、受験がありますので、そのあと猛勉強をしました。11月以降の追い込みは人生で一番勉強したような気がします(笑)。


――Kボールの全国大会が大きなきっかけとなったのですね。
上野 伊勢崎北選抜は、三好匠君(九州国際大付―楽天・内野手)のいた福岡選抜に得失点差で敗退してしまうのですが、この試合をたまたま長島三奈さん(スポーツキャスター)が見に来ていて、話をさせていただいたんです。その時に、視野が広がったというか、群馬では味わえなかった世界が見えたというか。大げさではなく、この日の出来事が県外に目を向ける大きな転機になりました。

中3秋に憧れの長島三奈さん(写真右)に会うことができ、世界が広がったと話す上野さん。今でも宝物にしている貴重なツーショット写真です

――全国大会で、視野が広がったと。
上野 はい。早実を選んだのは、中1のときに群馬の中学軟式野球部出身(生品中)の斎藤佑樹さんの活躍を中1のときにテレビで見ていた影響もありました。「県外に出て、甲子園を目指す道もいいな」と思いました。


――とはいえ、時期は中3の秋ですよね。急な決断で両親の反応はどうでしたか?
上野 僕が悩んだ時に「県外に目を向けて見ては?」と言ってくれたのが父でした。野球でこれだけお金がかかるよ、という話をした上で「問題ない」と言ってくれたんです。早実に行くとなると、アパートに一人暮らしをする、アルバイトもせずに野球をする、仕送りをもらう。それだけでたいへんな負担をかけることになるなと中学生でもわかりますからね。


――ご両親が背中を押してくれたんですね。
上野 群馬だったら、引く手あまたじゃないけど、全額免除OKみたいな高校もあったんですよ。負担をかけないよう、そこに行くのが親孝行なのかもしれないけれど、違うかなって思いました。
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