【今、野球と子供は。】いつの間にか消えてしまった「野球のすそ野」

現ヤクルトの宮本慎也ヘッドコーチは、引退後の2014年から2017年まで野球解説者をしていたが、その傍ら、週末には品川区の幼稚園、保育所で野球教室を開いていた。品川区も協力したこのイベントのあと、宮本氏は汗を拭きながらこういった。
「プロ野球選手会には、これからは小学校高学年や中学生に野球教室をするのではなく、幼稚園や保育所をまわってほしいと言っています」
宮本コーチだけでなく、ここ数年、プロ野球界では就学前の幼児を対象とした野球教室を開催するようになった。

2018.09.20

幼児への普及活動で大きく出遅れた野球界

 サッカーでは、JFAが2002年には「JFAキッズプロジェクト」を立ち上げた。翌2003年から47都道府県サッカー協会と共に各地の保育園や幼稚園でボール遊びなどを教える巡回指導をはじめ、キッズフェスティバルやファミリーフットサルなど様々な取り組みをスタートした。そして幼児を指導するキッズリーダーというライセンスを設けた。キッズリーダーは専門知識や技術を身につけ、幼児にサッカーの楽しさを教えている。現在全国に1000人弱のキッズリーダーがいる。またキッズリーダーを養成するキッズリーダーインストラクターという指導者もいる。こういう形で、幼児からのサッカーの普及を行っている。
 
しかし野球界は、これまでほとんどこうした取り組みは行ってこなかった。
リトルリーグなどの少年野球も、スポーツ少年団の野球チームも、入団の資格は9歳前後からであり、それより小さな子供に野球を教えたり、体験させたりする団体、チームはなかった。その必要がなかったのだ。

昭和の時代、男の子の遊びといえば「野球」

 昭和の時代、日本の一般家庭の日常の娯楽といえば「プロ野球」だった。夜7時のゴールデンタイムには、どこかのテレビ局がプロ野球中継をしていた。子供たちは勤めから帰った父親と、プロ野球中継を見ながら夕ご飯を食べた。NHKは、試合終了まで放送したが、民放は7時から8時54分まで。試合途中でも打ち切られた。それでも不満を言う人は少なかった。試合の結果は11時からのスポーツニュースで見た。
翌朝の新聞のスポーツ欄もプロ野球の記事ばかり。少年漫画誌の表紙も長嶋茂雄や王貞治などの野球選手。まさにプロ野球はナショナル・パスタイム(国民的娯楽)だった。

だから、昭和の時代の子供は、幼稚園から小学校に上がる時期には野球のルールは、おぼろげながら知っていた。休みの日に父親とキャッチボールをした経験がある子供も多く、野球は特別に教えてもらうことがなくても、自然に理解していた。
 
そして小学校に入ると、子どもたちは放課後に空き地で「野球ごっこ」に興じた。昭和30年代前半までは、バットは木切れ、ボールは布を巻いたお手製だったが、昭和40年代に入ると親が子供用のグローブやバットを買い与えた。そういう形で、野球は子供たちの体に自然に染みついていた。
愛媛県のあるお寺には、こんなお地蔵様がある(愛媛県今治市高龍寺)。

 
左の地蔵は眼鏡をかけて本を読んでいる。右の地蔵はバットとグローブを持っている。
「どういう意味があるのですか」とご住職に聞くと
「よく学び、よく遊べ、ということです」とのことだった。この地蔵は昭和40年代にできたという。このお地蔵さまが物語るように、昭和の男の子たちにとって、遊びといえば「野球」だったのだ。
 
そんな時代に、幼稚園児や小学校低学年の子供に、わざわざ野球を教えようという大人はいなかった。教えなくても子供たちは勝手に野球を覚えて、学校が終われば野球ごっこをしたからだ。
21世紀に入って急速に消えた「野球のすそ野」

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