長田秀一郎|衝撃を受けた和田毅のボール、長くプレーできた秘訣は「学ぶ姿勢」

鎌倉学園では県内では評判の投手ながらプロ入りは選択せず、受験勉強のすえ慶応大学に進学した長田秀一郎さん。大学ではいわゆる『松坂世代』を代表する投手の一人として活躍して、その松坂投手が所属していた西武に入団することになります。後編では大学時代、プロ野球生活、そして引退後の今後について話を聞きました。

2018.11.02
――大学で初めてそのカテゴリーではトップレベルのチームに所属することになりましたが、苦労したことや高校時代までとの違いはありましたか?
長田:上下関係はそれなりにありましたけど、他の大学に比べるとそこまで厳しくはなかったと思います。初めての寮生活で3人部屋だったんですけど、最初はとにかく狭いなと思いました(笑)。野球に関しては最初から結構使ってもらっていて、1年の秋にはリーグ戦で投げさせてもらいました。寮からグラウンドも近くて、高校時代に比べると時間的に余裕があったと思いますね。授業は先輩にどの講義がいいかということを聞いて、単位も問題なくとることができました。
 
――当時の東京六大学はどのチームにもプロ注目の投手がいてかなりレベルが高かったと思いますが、実際プレーしていてもそれは感じていましたか?
長田:本当にすごいピッチャーが多かったと思います。早稲田は和田(毅・ソフトバンク)、立教は多田野(数人・元日本ハム)、法政は土居(龍太郎・元横浜)がいて、野手も後藤武敏(元DeNA)が法政にいた。みんな下級生の頃から中心選手でした。
 
――特に凄かったという印象がある選手だと誰になりますか?
長田:和田のボールですかね。六大学はDHがないので実際に打席に入るのですが、とにかくストレートの伸びが凄かったです。自分の感覚ではこのあたりに来ると思ったところのボール5個くらい上を振ってもまだボールが上に来ていてファールでした。
 
――そんな凄い選手たちの中でも成績を残していくわけですが、プロ野球に行けるかなと感じ始めたのはいつ頃からですか?
長田:2学年上の先輩に山本省吾さん(元オリックスなど)と中村泰広さん(元阪神など)がいて、この二人がプロに行ったのでそれが目安になったことが大きいと思います。あと高校時代はとにかく走っていたことが多かったですが、大学ではトレーニングの知識も増えてしっかり体を鍛えるようになりましたし、レベルアップしているなという実感はありました。
 
――多くのプロ球団から声がかかったと思いますが、西武を選んだのはなぜですか?
長田:自分の中で関東のチームがいいなという思いはあって、その中で最初に声をかけてもらったのが西武だったからです。大学の先輩でもある鈴木哲さんが担当スカウトでした。
 
――プロに入ってみての印象はどうでしたか?
長田:最初は2、3年でクビになるなと思いました。それくらいレベルが高かったですね。ピッチャーもそうですがバッター、特に外国人選手に驚きました。チームメイトにカブレラがいたのですが、トレーニングも飛ばす打球も桁が違いましたからね。
 
――そんな中でも長くプレーをできた理由、秘訣はどのようなところにあったと思いますか?
長田:まず早い段階で先発からリリーフになったことが大きかったと思います。自分もボールでは1試合全てを投げるのは厳しかったので、短い回に力を集中して勝負しないと通用していなかったと思います。あとはとにかく他の選手をよく観察して、先輩選手にも色んなことを聞きまくりました。
そうしているうちに30歳過ぎくらいからフォームのことが分かるようになってきました。具体的には蹴る方の足(右投手なら右足)の力を投げる手に伝えるときのお腹から腰の使い方ですね。これが抜けずにしっかりはまっているといいボールが行く。
あとは走る力が落ちるとダメだということを言われていたので、よく走っていたことも大きかったと思います。最後までタイムは大きく落ちませんでしたし、肩や肘が痛いこともありませんでした。
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